Brain Dance Campaign -Reboot-

大体ゲームのお話

ククルス・ドアンの島に思うこと(´・ω・)

というタイトルにすると、「どのククルス・ドアンの島だよ」ってなるんだけど、アマプラで観た「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」、所謂劇場版の話を主体に思うことを書く。

 

■劇場版「ククルス・ドアンの島」

 

アマプラでの視聴からちょっと間を置いて、喉につっかえてたモヤモヤの理由を探した。
初見では・・・1回しか観てないけど「話を膨らませて良いかんじになってた」と言ってしまった。
いや実は違う、そうじゃない、凄いモヤモヤしたものを溜め込んだ。

それは何かというと、あくまであれはアムロ視点であって、ククルス・ドアンという脱走兵についての何がしかの物語という主観に欠ける。

同じようなモヤモヤ、なんか既視感あるなと視聴後から考えてたんだけど、やっと行きついた。
「これ、THE ORIGINの24巻と一緒だ」
だった。

個人的にTHE ORIGINの24巻が嫌なのだ。
何が嫌かっていうと「蛇足」でしかないからだ。
23巻までで一年戦争メインストーリーが終わり、24巻は様々な観点からの前日譚や後日談のオムニバスになっている。
24巻は正直「なんでこんな話を描いたんだろう?」という疑問しか湧かなかった。

劇場版ククルス・ドアンの島、というのは正にそれだった。
何故こんな蛇足をやった?

話の原典となるククルス・ドアンの島は、ガンダムの話の中でも1,2を争うほど個人的に好きな話だ。
それゆえに劇場版にも期待はあった。

でも劇場版のククルス・ドアンはなんだかペラいのだ。
ククルス・ドアンの島という一エピソードのパーツでしかないほどに。
どうせなら、ドアン視点で描いてもらったほうが納得したんだと思う。
私はそう思うってだけだけど。

あと・・・分かりやすい勧善懲悪的な話でもなかったのに、作戦行動に出てきたジオン軍の精鋭(?)部隊との交戦で「悪をやっつけろ」みたいなことになってるのも納得行かない。

原典のように岩でミサイルを撃墜しろ、とかそんな話ではない。
あの原典の1話30分に詰めた思いってどこへ行ってしまったのか、モヤモヤを抱えてからそれを改めて考えた。

 

■コミック版「ククルス・ドアンの島」

 

で・・・最初読んだ時「なんだこれ?」感があった、コミック版のほうを読み返してみた。
ククルス・ドアンの島と銘打ちながら、ドアンが所属していて脱走した元の小隊メンバーの回顧録やその後の足取りだけで終わり、原典のエピソードがまるで無かったからだ。
そして劇場版で島のエピソードは語られる、ということで映像に期待した。

コミック版の話って、劇場版の原典焼き直しを見ると、完全に切り離された「別の世界線ククルス・ドアン」に見える。

コミック版では開発初期MSのテストパイロット、それからドアンが「大義ある戦争」にジレンマを感じて脱走した経緯で、彼がどんな人物で彼の家族に何が起こったかが語られている。
他者視点で終始話が進みつつ、ドアンの人物像を見せていくような形だった。

かたや劇場版では、何ならドアンはシャアと比肩されるほどのエースパイロットで、討伐隊の木端が対決できることにウヒョーとか言っちゃう人物らしい。
全然違うのだ。

劇場版の木馬進路は、ジャブローを出て大西洋を渡り北アフリカカサブランカ辺りでベルファストへ向かう旅程のさなか、ドアンの島へ立ち寄る部分のスピンアウトで実在の現スペイン領アレグランサ島を舞台にしている。
この時点でコミック版の話とはどうあってもリンクできないのだ。
そりゃ北米でドアンが脱走してなんやかやあってアレグランサ島に戦災孤児を連れて隠遁した、という強引な持っていき方もあるかもしれんけど。

劇場版を見た後、コミック版を再読して、「あれ?こっちのほうが好みだな」になった。
コミック版にも不満点はある。
ガンダムバリエーションが色々出すぎな点。
ワンオフの超絶機体がそんなポンポンロールアウトされてるのかよ、ってくらい、どこにでも出てくる。
白と黒の2機一気に出てくるジャブローの話とかな。

その辺は納得してないけど、一年戦争勃発直前のコロニー落としからドアンが如何に関わっていたのか、どんな行動観を持つ兵士だったか、など、非常に見えやすくなっている。

劇場版のサザンクロス隊みたいな「あぁん?ドアンだぁ?」的な立ち位置の兵士はコミック版には居ない。

 

■色々言ったけど・・・

 

劇場版は色々ごっちゃにしすぎた感がある。
マ・クベさん出てくるのはいいよ。
ただウラガンがな・・・THE ORIGIN24巻のあのままの無能腰巾着で政治的振る舞いができなさそうな間抜けぶりなのがなんかそれは違うなぁ。
一年戦争時で有名なあの「殴ったね」「親父にもぶたれたことないのに」の回想をブライトさんがするのもまぁ・・・いや居るかなぁあれも。
まとまらない士官と軍属の間で苦悩する指揮官としてのブライトさんは、あぁ頑張ってるなぁと思ったけど。

あと原典のアムロってもっとドアンに対して敵愾心を当初持ってたでしょ。
会話ができるようになった後も脱走兵というドアンの立場を理解でききらずに怪訝そうに話してた。
劇場版のアムロってまるでKUNさんの50人クラフトに何の間違いか参加してしまった変なパーマの16歳ってかんじしかせんのよ。
打ち解けてるんだか打ち解けてないんだか分からない上にやたら真意も分からずに協力的になるのはどうなのかと。

映像化してもらえたことは嬉しかったけど、よくよく考えてみるとこの記事で記したとおり「ごめん求めてたのはこういうのじゃないんだ」に落ち着いてしまった。